【経験談】新型コロナウイルス感染症(COVID-19)
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新型コロナウイルス感染症(COVID-19)経験談
だいすけさん
私は母と2人暮らしでした。
2人共、外出時はマスクを欠かさず付けていました。
私は軽症の糖尿病で血圧も少し高いです。
かかりつけの病院で薬を処方してもらっています。
(仕事の理由で、薬を1週間切らして毎月していただいている血液検査で正常値に近い状況です。)
2022年2月14日頃に母が体調悪いと居間でソファーに横たわっていました。
母が喉が痛いとの事で病院に行くようにお願いしましたが、母は少し寝たら良くなると言って病院に行きませんでした。
2月17日の朝でも私が熱を出したり、喉が痛く無いため、母は疲れて体調が悪いか、軽い風邪だと思っていました。
その日は得意先と外で打合せがある為、JRのとある駅で待ち合わせして喫茶店で打合せしていました。
当然、打合せ中はお互いに珈琲を一口飲む時だけマスクをずらしていました。
打合せ後、昼ご飯を食べようと移動している時に、急に具合悪くなり、吐き気もしましたので、得意先と別れて帰宅しました。
帰宅後は、直ぐに眠りました。
2月18日は母が元気になりましたが、私は急に熱が出て仕事休み寝込んでいました。
喉は痛く無かったのですが、熱が37.5度ありました。
2月19日、少し食事はできましたが、辛い体調なのでずっと部屋で寝ていました。
寒くて辛かったので夜にお風呂に入りました。
熱いお風呂に入っても寒気が酷かったのでマズイと思い、直ぐに風呂を出て横になりました。
2月20日日曜日、熱が39℃になったので母親に解熱剤を買って来てもらい、服用したら36.8〜37℃になり、少し楽になりました。
しかし、4時間以上経つと直ぐに39℃以上になりました。母と話し合い、翌日月曜日に直ぐ近くの病院でコロナ検査をしてもらう事にしました。
20日〜21日朝までは4〜6時間毎に解熱剤を飲んでいました。
横になっている時は少し楽ではありましたが、寝不足状態でした。
2月21日の朝、目覚めてトイレに行こうと立ち上がり、一歩足を前に出したら息が出来なくなりました。
えっ と驚いてもう一歩足を前に出したら息が出来なくなりました。
とても恐怖感で一杯でした。
這いつくばってトイレに行き、直ぐに横になりました。横になっている時は息が出来ました。
母に病院に連絡してもらい、一緒に病院に行きました。
いつもなら徒歩3分で着ける病院に15分掛けて辿り着きました。
病院で医師とテレビ対面する形でしたが、看護師さんが私の血中酸素が80%しか無いと先生に訴えてくれました。検査も直ぐに結果を出して貰い、コロナ陽性と出ました。
医師との話し合いで何とか家に戻り、救急車を呼びました。
運良く30分位で救急車が来ました。行き先を見つけるまで自分の部屋で酸素吸入を処理して頂きました。
3時間後、受け入れ病院が見つかり救急車で運ばれました。
大きい都立病院でした。救急車の車内では貴方はとても運が良いと言われました。酷い時は12時間以上受け入れ病院が見つからない状況との事でした。
都立病院では酸素吸入され一晩過ごしました。
この先どうなるのか不安で一杯でした。
2月22日の朝食の時に看護師さんから都立病院では治療不可能な状態だと言われ、医師が他の病院を一生懸命探しますとの事でした。
22日の夕方に受け入れ病院が見つかったとの事で救急車で運ばれました。私立大学付属病院でした。
病院に着くと大きな手術室で裸にされ、8人の医師と看護師さんに色んな器具を体に付けられました。とても痛かったです。
その後、病室に運ばれました。窓もなく、時計もなく、モニターと最新設備の機材だらけの薄暗い個室でした。
それから薬が効いたのか深い眠りにつきました。
時々、宇宙服のような防護服を着た看護師に起こされ、話しかけられました。
『意識ありますか』『貴方は何故ここにいるか分かりますか』『貴方はこの様な理由で此処にいます』『身体は痛くないですか』『幻影をみますか』等
私は手足を縛られ、口から始まって身体中に管をつけられているので頷くか目で訴えるしか出来ませんでした。
手足が痛くなっても目で訴えることしか出来なくて、理解されなくて辛かったです。
看護師さんの仕事は本当に重労働です。184cm115kgの私の便を採ったり、身体を拭いてくれたり、本当に感謝しています。
とにかく寝ているときは前世の夢じゃないかと思うぐらい、リアルな夢を数多く見ました。
昔のヨーロッパ、ロシア、日本、アメリカでの生活の夢です。今でも全てリアルに覚えています。
そして戦争の夢も見ました。銃を持ってジープらしき車に乗っていました。
目が覚めた時、黒い魂みたいなのが天井で彷徨っていました。
私は死ぬのかなとびっくりする程冷静に思っていました。
その時に2つの白い魂が現れ、黒い魂の周りを回っていました。
私は10年前に癌で亡くなった妻と3ヶ月前に癌で亡くなった父だと思いました。
色んな物語を夢で見ました。
ベテランの看護師さんが担当になってからは目で訴えた事に対して理解してもらい、手足の縛りを緩くして頂いたり、痒いところを掻いてもらいました。流石だなと思いました。
ある日、縛られていた手足が解放され、医師から峠を越えたと言われ、検査の結果、口の管が外されました。
それから数日は、ベテランの看護師さんに癒され励まされ回復に向かって行きました。
13日間、集中治療室で治療受けました。
14日目にコロナ専用の普通個室に移されました。
母からオシメが送られていました。
預けていた荷物も帰ってきました。
病院での食事をガツガツ食べたら、身体が生きようとしている人はよく食べると言われました。
14日目から仕事の事が気になり、携帯で関係者と連絡取りました。
14日目と15日目は病院で一般患者と同じ様に診察や検査を受けました。
医師からは2週間は入院したほうが良いと言われましたが、15日目に直談判して16日目に立ち上がり歩く検査を受けて、16日目の午後に母に迎えに来てもらい、退院しました。
14日目と15日目では診察や検査や買い物する為に車椅子を押してくれた看護師さんに感謝しております。
退院する時に若い医師が病室に来て頂き、担当医の補助していましたと聞かされました。
若い医師から『幻影を見ましたか』と聞かれ全て経験した事を言いました。
医師は『他の患者さんも幻影見ているのですが薬のせいなのか本当に超常現象がおきているのかはわかりません(笑)』と答えてくれました。
私も色々質問しました。
『集中治療室で他の部屋からうなされている声を聞いたのですが、その後パッタリなくなりました。その方は無事なのですか?』
医師は『個人情報は教えられないのですが、ここに入院されて元気になった人もいますし、残念ながら亡くなる人もいます。』
担当医に最後、挨拶しました。
担当医からは『貴方はエクモ使用できなかった。貴方はコロナで酷い肺炎でした。貴方がこの様に退院するのは奇跡です。命を大事にして下さい。貴方の様に集中治療室出てから2〜3日で退院出来る回復力にも正直驚いています。お元気で(笑)』
帰りのタクシーの中で母から言われました。
『担当医から電話があって、息子さんは残念ながら助かりません。全力は尽くしますが覚悟していて下さい。私は途方に暮れましたよ。』
私はタクシーの中で生きて帰って来れたと流れる景色を見ていました。
しかし、後から後遺症が私を襲います。
退院した翌日の夜から恐怖が襲って来ました。
毎晩の恐怖に耐えられず、台所に行って楽になりたいと包丁握ったこともあります。
その時は母が気付いて声かけられたので大丈夫でした。
Youtubeでコロナ後遺症対策や体験談の動画をずっと見ていました。
近くの精神科3カ所に電話しても、初診まで1カ月は待って下さいと言われました。
母が知り合いに頼んで紹介してもらい、1週間後に初診受けました。
精神科の医師からはコロナ後遺症で来る患者が増えすぎて大変な状況ですよと言われました。
初診した結果、軽い睡眠薬1週間分を処方してくれました。
私は睡眠薬についてYoutubeで動画を色々見ました。
私は睡眠薬飲んだら睡眠薬にのまれてしまうと思い、眠くなるまで散歩したり、音楽聴いて自然に寝落ちする努力をしました。
あと、急に息が出来なくなって死んでしまうのではという恐怖が来る原因は喉のつっかかりがあるからだと思い、耳鼻科に行きました。
耳鼻科医からは喉に長い期間、管が入っていたからではないか。喉に若干腫れはあるが心配無いと言われました。薬も処方してくれました。
それから夜に恐怖がやって来なくなりました。
1週間後に精神科の医師に睡眠薬は飲んでいません。耳鼻科行ってから恐怖が来なくなった言いました。
そしたら精神科医からもう大丈夫です。精神科に来る必要は無いですよ(笑)と言われました。
本当にコロナ感染は怖いと思いました。
今でもずっと、人混みはなるべく避けて、駅や電車、商業施設等ではマスクをしています。
家に帰ってからも手洗いはしています。
皆様も若いから大丈夫、疾病が無いから大丈夫、とは思わないでくれぐれも感染に気をつけて頂ければと思います。
長文失礼致しました。
m(_ _)m
2025-02-02 19:17:36